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林真理子

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林 真理子(はやし まりこ、1954年〈昭和29年〉4月1日 - )は、日本の小説家、エッセイストである。有限会社林真理子企画事務所代表取締役。日本文藝家協会理事長、日本ペンクラブ会員、学校法人日本大学理事長。

人物

山梨県山梨市出身。山梨県立日川高等学校、日本大学藝術学部文芸学科卒業。

コピーライターとして活動の後、作家として1982年(昭和57年)に出版したエッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』が、処女作にしてベストセラーとなった。さらに1986年(昭和61年)には、『最終便に間に合えば』『京都まで』で直木賞を受賞し、小説家としての地位を確立した。林の功績は、 1980年代以降において、「ねたみ・そねみ・しっとを解放」したことであるとも評される。

2022年現在、直木賞のほか、講談社エッセイ賞、吉川英治文学賞、中央公論文芸賞の各選考委員を務めている。

経歴

大学卒業後、アルバイトをしながら宣伝会議のコピーライター養成講座を受講。1979年(昭和54年)、秋山道男が編集していた西友ストアのPR雑誌『熱中なんでもブック』(のちに『青春評判ブック』)の編集スタッフとなる。1981年(昭和56年)、西友ストア向け広告コピー「つくりながら、つくろいながら、くつろいでいる。」でTCC(東京コピーライターズクラブ)新人賞を受賞。

1982年(昭和57年)、エッセイ集『ルンルンを買っておうちに帰ろう』を発表して、エッセイストとしてデビュー。同書はベストセラーになる。1986年(昭和61年)、前年に発表した『最終便に間に合えば』『京都まで』で第94回直木賞を受賞、作家として認められる。翌1987年(昭和62年)には、日米の交流を目的としたインターナショナル・ビジター・リーダーシップ・プログラムに参加した。

1993年(平成5年)から、初めて文芸雑誌『文學界』に連作を書いた(『文学少女』)。1995年(平成7年)、『白蓮れんれん』で第8回柴田錬三郎賞を受賞、1998年(平成10年)、『みんなの秘密』で第32回吉川英治文学賞を受賞、2013年(平成25年)、『アスクレピオスの愛人』で第20回島清恋愛文学賞を受賞。2011年にレジオンドヌール勲章シュヴァリエに叙された。

2018年、紫綬褒章を受賞。

2020年5月、日本文藝家協会理事長に女性として初めて選出された。同年9月文部科学省文化審議会委員(文化功労者選考分科会分属)。同年10月13日、第68回菊池寛賞を受賞した。同年10月14日には、『週刊文春』で連載のエッセイ(「今宵ひとりよがり」「今夜も思い出し笑い」「マリコの絵日記」「夜ふけのなわとび」)の通算連載回数が1655回(同年7月2日時点)に達し、「同一雑誌におけるエッセイの最多掲載回数」としてギネス世界記録に認定された。

2022年7月1日、日本大学理事長に女性として初めて就任。同年11月、第4回野間出版文化賞を受賞。

2023年に発覚した日大アメリカンフットボール部の違法薬物事件においては、日大が設置した第三者委員会から、林や酒井健夫学長ら幹部が、不都合な事実を 矮小化し、自分に都合よく解釈して対応にあたった結果、大学の信用を大きく傷つけたと指摘された。一方、林が大麻使用に関する報告を受けたのは、沢田康広副学長が大麻と疑われる植物片を発見したのが7月6日なのに対し13日になってからで、ガバナンスの前提となる報告ルールが不備だったとした。林が調査の指示を出さず、理事会に報告しなかったことは著しく不適切な対応としながらも、「巨大な組織であることに鑑みれば、理事長個人の責任というより、組織対応の問題」とされた。11月22日、日大の臨時理事会が開かれ、林に対して報酬の50%減、沢田副学長に即時辞任、酒井学長には年度末での辞任をそれぞれ勧告した。林は受け入れる意向を示したという。

同月27日、辞任を強要するなどのパワハラを行ったとして沢田副学長から1千万円の損害賠償を求めて提訴された。

私生活

1990年(平成2年)、36歳でサラリーマンと見合いをして結婚。親族向けの披露宴はトゥール・ダルジャンを借り切って、親族以外の人を招いた披露パーティーは赤坂プリンス旧館で会費制で行った。その後、1999年(平成11年)2月に44歳で長女を出産。


 

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