※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube検索等を行い、
その結果を自動的に取得・表示しています。
日出郎(ひでろう、別名:天狗連志ん進、本名:ニシダシンジ、1964年10月30日 - )は、京都府舞鶴市出身のダンサー・歌手・タレント・声優・俳優・ドラァグクイーン・落語家(天狗連として)・経営者。愛称はヒデリン、ヒデピョン。血液型はB型。オンリーユー所属。
1990年代バブル景気時代を代表するおねぇタレント。現在は、芸能活動の傍ら、新宿二丁目でバーを数軒経営している。
幼少より歌う事が好きで、初めて買ったレコードは、ジャクソン5と岩崎宏美。高校時代には、b-flowerのギタリスト鈴木浩とバンドを組みボーカルを担当した。
1983年に、東京都新宿区住友ビル49階にあるショーパブ「ギャルソンパブ」で、ダンサーとしてデビュー。その後、25年間に渡り都内の各所のショーパブで主演ダンサーとして活躍する。
1985年に、バラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)で、バラエティに出演する初のオネェタレントとしてテレビに初登場し強烈な厚化粧と奔放な発言で人気を博す。当時の顔立ちや風貌がそのまんま東と似ていたことから、当番組やビートたけしが出演する他の番組でも度々そのことをネタにされた。
タモリにも非常に可愛がられ、タモリ倶楽部(テレビ朝日)、ボキャブラ天国(フジテレビ)に度々出演する等、最盛期は週に10本以上のレギュラー/準レギュラーのバラエティ番組に出演。オネエバラエティタレントの開拓者的存在になる。
美輪明宏には「本をお読みなさい」と小言を言われた際に赤川次郎の「三毛猫ホームズ」をカバンから出して見せ「読んでます」と反論した故、美輪から「こんなものは本じゃありません」と逆鱗にふれた。
ギャグでは「パッキーン」「ガビーン」「しなさーいさーいさーい」「何ひとつ盛り上がる事なく」などがある。
日本ではオカマ初のテクノ アイコンドラァグクイーンとなり、新宿花園神社横ミロスガレージや芝浦ゴールドの初期ゲイナイト等でパフォーマンスをし様々なミュージシャンと交友を広める。特に電気グルーヴとの親交は公私共に深かった。
1991年、写真集『神様のいたずら』を発売。写真週刊誌FRIDAYに吉沢秋絵との交友関係を報道され、初のスキャンダルとして、ファンを驚かせた。
1992年、スペインのディスクジョッキーチモ・バヨのヒット・シングル『俺はチモ・バヨ〜燃えろバルセロナ』をカバーした『燃えろバルセロナ』(アルファレコード)でCDデビューを果たす。原曲のサビのフレーズ"Esta me gusta Me la como yo"を「エクスタシー獲たけりゃ肛門よ」と空耳風に歌っている。キャッチフレーズは「怒っちゃやーよ!」。中森明菜との密会を写真週刊誌FOCUSに撮られ話題になる。
1993年-1995年ダウンタウンのごっつええ感じ(フジテレビ系)にもたびたびゲスト出演、コーナー企画「セップン道場」では、浜田雅功、松本人志両者と接吻、出演の男性タレントの中で優勝、初代チャンピオンに輝く。プロレス企画「キャリー東野のアイドル虎の穴」では、日景忠男や志茂田景樹とタッグを組み挑んだが、キャリー東野、木村ちゃんに敗退している。
1995年-1996年にNHK教育テレビで放送された『なんでもQ』第1シリーズ『むしむしQ』では「カマキリのかあちゃん」を歌い、日本コロムビアから発売されたアルバム『むしむしQ』に収録。1995年-1999年アメリカ留学。芸能活動を一時休止した。
1998年「めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ系 12月5日放送)でのナインティナインがイタリアまで中田英寿に会いに行くという企画で、途中ペルージャのクラブハウスまで入り交渉シーンなども流し番組を最後まで引っ張りに引っ張り、ようやくスタジアムでヒデとご対面する、という場面で日出郎が小走りで出てきたことで視聴者を愕然とさせ高視聴率を得て番組の神回とされた。ナインティナインは東京から、この頃、サンフランシスコ在住休業中の日出郎はアメリカからローマ入りした。
2000年、アニメ『OH!スーパーミルクチャン』(WOWOW)の大家役で声優に初挑戦する。
2000年-2003年、JALホテルズ系、プリンスホテル系を中心に全国ニューハーフ・ディナーショー・ツアーを敢行、47都道府県を回る。
2003年、2nd『ターニング・ポイント』(ニューセンチュリーレコード)を発表、初のバラードシングルで歌唱力を評価される。
2008年、DVD「アゲパラ」PARTY X PARTYメンバーとしてリリース(ぱっぷる社)。