CLOSE

CLOSE

ジャンル別公演チケット

エリア別公演チケット

条件別公演チケット

HOME > 菊タロー

菊タロー

菊タロー



※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube検索等を行い、
その結果を自動的に取得・表示しています。


 

Wikipedia

菊タロー(きくタロー、1976年11月17日 - )は、日本の覆面レスラー。

正体はかつてW★INGプロモーションに練習生として所属していた菊澤 光信(きくざわ みつのぶ)とする説がある。

経歴

ここでは菊タローの正体だと言われている菊澤光信の経歴も記載する。

菊澤光信

正体とされる菊澤は、栗栖正伸トレーニングジムにてプロレスの基礎を学んだ後、W★INGプロモーションに練習生として入団するが、デビュー前に退団。その後、ユニバーサル・プロレスリングに入団し、ほとんどの所属選手がみちのくプロレスに移籍する中でユニバーサルに残り、1994年にユニバーサルが団体名を改名したFULLで正式にプロレスデビューする。デビューしてしばらくの間、FULL所属としてインディー団体に登場した。FULLが活動を停止した後はフリーランスとして様々なプロレス団体に出場し、大仁田厚と組んでデスマッチを行っていたこともあった。一時期、IWAジャパンや真FMW、DDTプロレスリング所属だったこともある。また、NOSAWAと組んで東京愚連隊を結成してアメリカやメキシコの団体で活動していた。この頃、素顔だけでなく様々な覆面レスラーに変装してインディー団体に登場している。

えべっさん

大阪プロレス専属フリーとしてみちのくプロレスに参加した後、1999年7月24日、大阪プロレスにて大阪・光明アムホールでザ・モンキーマジックを相手に「えべっさん」としてのデビューを果たした。当初はフリーのままでの参戦だったが、2004年に所属契約を交わした。くいしんぼう仮面との「大阪名物世界一選手権」を中心とした爆笑を呼ぶ抗争や、入場時のお賽銭パフォーマンス、さらに、武藤敬司のコピーである「えべ藤さん」、アブドーラ・ザ・ブッチャーのコピーの「えべドーラ・ブーチャン」など、有名レスラーの完璧なコピーで人気を博した。大阪プロレスの他、新日本プロレスや全日本プロレスにも参戦した。2005年4月24日の大阪・デルフィン・アリーナでの試合を最後に大阪プロレスとの契約が切れて退団、フリーとして活動することとなった。

「えべっさん」のキャラクターが大阪プロレスの登録商標となっていることと、2005年4月29日から2代目えべっさんが大阪プロレスに登場したため、フリー転向後、最初の試合となった2005年5月7日東京・ディファ有明での「ディファカップ」以降は、えべ太郎のリングネームを使用し、マスク・コスチュームも若干変更したものの、えべ太郎のリングネームも大阪プロレス側からクレームが入ったため、2005年(平成18年)5月14日にアメリカのペンシルベニア州フィラデルフィアのECWアリーナで開催されたベストオブベスト5を最後に使用を止め、暫定的なリングネーム太郎として活動していた。

菊タロー

2005年5月20日、の全日本プロレスの大会からは菊タローのリングネームを名乗るようになった。以降は日本、海外を問わず、様々な団体で明るく楽しいプロレスを披露し、活躍している。

2007年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会に参戦。

フリーに転向直後は、大阪プロレスに参戦することはなかったが、2008年以降には新旧のえべっさん同士のタッグを組むなどの参戦機会が増えている。2009年(平成22年)には「盟友であるくいしんぼう仮面のたっての願いで」という理由で久々にえべっさんとしての試合を行った。2015年現在も、事実上解散状態にある大阪プロレスに初代えべっさんとして参戦している。

2009年、大阪プロレスの大阪プロレスお笑い王座、DRAGON GATEのオープン・ザ・お笑いゲートタッグ王座(パートナーはドン・フジイ)、さらにDRAGON GATEのオープン・ザ・お笑いゲート王座を奪取して前代未聞のお笑い三冠を達成。名実ともに「日本一面白いレスラー」の称号を手にした。

2014年、プロレスリング・ノアの第8回日テレG+杯争奪ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦に出場。NO MERCYに所属していると発言しているからかNO MERCYの新リーダー平柳玄藩とタッグを組み出場した。

2014年10月23日、新木場1stRINGにて、東京愚連隊の興行として「菊祭り〜菊タローデビュー20周年記念興行〜」を開催した。


 

取扱中の公演・チケット情報

現在取り扱い中の公演はありません。