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河竹登志夫



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Wikipedia

河竹 登志夫(かわたけ としお、1924年12月7日 - 2013年5月6日)は日本の演劇学者。学位は文学博士。

人物

本名は俊雄。演劇研究家・河竹繁俊の二男として東京に生まれる。歌舞伎作者の河竹黙阿弥の曾孫にあたり、祖母(繁俊の養母)の糸女が河竹黙阿弥の娘である。

成城高等学校、東京帝国大学理学部物理学科卒業、早稲田大学第一文学部演劇学科、同大学院を経てハーバード・エンチン研究所客員研究員として招かれた。1964年、早稲田大学教授を経て、のちに名誉教授。1974年東京大学文学博士。「近代日本演劇とハムレット?: ハムレット移入史の研究」。1990年、共立女子大学教授。ウィーン大学、北京日本学研究センターの客員教授。日本比較文学会会長、放送文化基金理事長、日本演劇学会会長、日本演劇協会会長などを歴任し、公益法人都民劇場理事長を務めた。

物理学の場の概念を応用した「歌舞伎の「場」理論」や、歌舞伎を反古典主義的・バロック主義的な到達点とする「歌舞伎バロック論」で知られ、〈比較演劇学〉の開祖と称される。また、歌舞伎の海外公演の反響調査も実施した。

1960年の歌舞伎アメリカ公演以降、のべ12回に渡り、歌舞伎海外公演の松竹文芸顧問として同行した。1961年、当時のロシア演劇界では稀だった歌舞伎公演を団長として率い、モスクワ、レニングラードで俳優28人・演奏家22人・補助22人での公演を実現した。

1968年、『比較演劇学』で芸術選奨新人賞、また1981年、黙阿弥没後の河竹家の歴史を描いた『作者の家』で読売文学賞、毎日出版文化賞を受賞。1987年に紫綬褒章を受章し、1994年には国際交流基金賞を受賞。1995年に勲三等旭日中綬章を受章。2000年には恩賜賞・日本芸術院賞を受賞し、2001年に文化功労者に選出された。2010年5月には日本経済新聞にて『私の履歴書』を連載した。2003年に放送文化賞を贈られた。2003年3月28日の歌舞伎座新開場では「?葺落興行古式顔寄せ手打式」で狂言名題を読み上げた。本人は「家を継いだ責任を果たした」と語っていたという。

2013年5月6日、東京都内の病院にて心不全のために死去。88歳没。

エピソード

  • 重要な仕事をする時は、その前に包丁を研いで精神を集中すると語っていた。
  • 福光屋の日本酒「加賀鳶」の題字を手がけた。
  • 1974年、東京大学から文学博士の学位を授与されたが、なぜ出身校・勤務校の早稲田大学ではないのかという疑問の声があった。2005年刊行の『続々比較演劇学』「私記・比較演劇学五十年−あとがきに代えて」の中で、早大に論文・必要書類を提出したが「英文・日文・演劇の一部教授による反対あるいは妨害のため取り下げざるを得ない結果となったのである。(中略)しかしこれを伝え聞いた早大の大先輩で近代文学者の木村毅博士が、早稲田も地に墜ちたかと激怒、ならば東大に出せと強くすすめられた。同学である東大の吉田精一博士からも同調、支持を受けた」と、その理由を明らかにした。
  • 蛙を収集するのが趣味。

著作

  • 『日本の芸能』福村書店 1953
  • 『日本の演劇』さ・え・ら書房 1965
  • 『演劇ものがたり』淡路書房 1956
  • 『演劇の座標』理想社 1959

 

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