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テツandトモ

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※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube検索等を行い、
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Wikipedia

テツandトモ(テツアンドトモ)は、ニチエンプロダクションに所属する日本のお笑いコンビ。M-1グランプリ2002ファイナリスト。

初期は『テツ&トモ』という表記もあったが、『テツandトモ』の表記が正しい(姓名判断の結果を受けて変更したとされる)。

概要

赤・青の揃いのジャージを着てトモがギターを弾き、テツがおかしな踊りをして「なんでだろう〜」と連呼しながら日常の何気ない疑問について繰り広げる漫談で有名になる。また、CDを発売するなど歌にも力を入れたことから、全国各地で老若男女楽しめるお笑いと歌のステージを展開している。「なんでだろう〜」のフレーズは、2003年のタイアップ効果により同年の流行語となり、新語・流行語大賞に選ばれた。漫談の中でトモが立川談志などのモノマネを披露する事もある(似ていない事をネタにしている)。

日本大学芸術学部で出会い、同期たちとカラオケに行った際、テツとはお互いに演歌や歌謡曲が好きなことが判明。同期たちとカラオケに行く時は、よくテツと狩人の「あずさ2号」をデュエットした。大学の友人の結婚式の余興で2人でデュオを組み、「サライ」の替え歌を歌った。当時テツは演歌歌手志望でトモは俳優志望だったが、披露宴に出席していた事務所関係者になぜか芸人としてスカウトされた。2ヶ月間に及ぶ説得は続き、事務所側から「芸人として売れたら歌(CD等)だって出せるよ」と言われ、2人で悩んだ末芸人としてデビューすることにした。

事務所所属後は、漫才やコントなどをやってみたが全く受けない日々が続いた。1998年5月にトモがトイレに行った際、不意にメロディ(「なんでだろう〜」の部分)が頭の中に降りてきて、テツに伝えたことから「なんでだろう〜」のネタが生まれた。「なんでだろう〜」のネタをやり始めてからネタ見せ番組などのオーディションに受かるようになり、お客さんに大ウケするようになった。

メンバー

テツ

本名:中本 哲也(なかもと てつや、 (1970-05-09) 1970年5月9日(53歳) - )主にボケ担当。

  • 滋賀県大津市(旧滋賀郡志賀町)出身、志賀町立木戸小学校 志賀町立志賀中学校、滋賀県立石山高等学校、日本大学藝術学部演劇学科演技コース卒業。血液型A型。赤いジャージを着て踊る。愛称はテッちゃん
  • 実家は琵琶湖から徒歩5分の場所にあり、両親、5歳年下の妹、父方の祖父母との6人暮らしだった。両親は国道を挟んだ実家の向かいで喫茶店「コーヒーショップRIKYU」を経営していた。時期は不明だが、その後店を閉店して店の隣に工場を建て、両親は精密機械メーカーの部品作りの会社を経営した。
  • 1977年に小学校に入学後は、在来線の湖西線を利用し電車通学生徒数が少なかったため同級生とは6年間同じクラスだった。子供の頃から目立ちたがり屋で誰かを喜ばせたいという性格だったため、率先して学級委員をやったりレクリエーションで張り切るなどした。両親が喫茶店を出していたこともあり、当時の将来の夢は料理人だった。
  • 子供の頃からの五木ひろしの大ファンである。これは父親が元々五木の大ファンだったことが影響し、当時本人も五木の歌を聴いたりカラオケで歌っていた。小学6年生の時、母親に勧められて子供たちが参加するテレビ歌番組『ちびっこものまね紅白歌合戦』に応募。当日は、白組のトリとして五木ひろしの「契り」を熱唱した。以後、ちびっこ系歌番組に色々と出るようになり、将来は歌手になりたいと思い始める。
  • 中学校に入学すると、目立ちたがりなことからサッカー部、応援団、生徒会など色々と参加。関西ローカルの一般参加の演芸番組『素人名人会』(毎日放送)で歌を披露して賞金3万円をもらった。その賞金でモーリスのアコースティックギターを購入(このギターは2023年2月現在、相方のトモが使っている)。
  • 県立石山高校に進学後もサッカー部に所属し、応援団長も担当。2年次の文化祭ではクラスでの演劇『オイディプス王』で主役を演じた。皆で舞台を作り上げることに面白味を感じ、本番では表現することに感動を覚えた。またこの頃は、五木ひろしのような歌手を目指すなら、「(公演などで披露する)芝居も学ぶ必要がある」と考えていた。なお、石山高校時代の同級生に、声優のゆきのさつきがいる。
  • 大学進学の際、地元の国立大学である滋賀大学教育学部と、日本大学藝術学部を受験して両大学に合格したが、最終的に演劇の道を志して日本大学へ進学した。
  • 大学入学後、ミュージカル研究会に所属。生活費を稼ぐため、ガードマン、喫茶店、サッカー教室のコーチなどバイトに明け暮れた。1991年(大学3年生の頃)、日本大学藝術学部在学生を中心に結成した「劇団BQMAP」の旗揚げに参加。旗揚げ公演は裏方スタッフとしての参加だったが後日役者に転向し、徐々に看板役者としてメイン格の役を演じるようになった。この頃、後に声優となる前田剛や竹内順子とも共演していた。
  • 大学卒業後も就職せずに20代は「劇団BQMAP」で舞台役者として活動を続けながらバイト三昧の生活を送った。当時一番続いたバイトは、池袋にあったフランス料理店「パリの朝市」で、この店は後に妻となる女性と出会った場所でもある。トモとのコンビ結成でお笑いの道に進むため、1997年の公演を最後に「劇団BQMAP」を脱退。

 

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