早稲田大学グリークラブ(わせだだいがくグリークラブ)は、1907年(明治40年)に設立された早稲田大学の学生による男声合唱団。通称「ワセグリ」。
国内外のオリジナル男声合唱曲はもちろんのこと、学歌から民謡、ポピュラー音楽まで幅広いレパートリーを持ち、新曲の委嘱活動にも意欲的である。かつては磯部俶や福永陽一郎の指導を継続して受けていた時期があったが、現在は常任指揮者はおらず、学生が主体となり活動している。指揮者は演奏会ごとに客演指揮者を招き演奏を行っている。
沿革
- 1903年(明治36年) 「声楽部」と「器楽部」からなる早稲田音楽会(早稲田大学グリークラブの前身)が設置される。
- 1907年(明治40年) 早稲田大学が創立25周年をむかえ、校歌「都の西北」が制定される。作曲者の東儀鉄笛が声楽会副会長だったこともあり、声楽会員が最初にこれを歌った。その後、彼らが中心となって歌唱指導を行い、25周年祝賀会では全学生が高らかに歌い提灯行列を行った。また第一回定期演奏会が実現した年でもあり、早稲田大学グリークラブの起源はこの年とされる。
- 1932年(昭和7年) 早稲田大学創立50周年記念音楽合同演奏会が執り行われる。
- 1935年(昭和10年) 早稲田大学合唱部と呼ばれるようになる。
- 1938年(昭和13年) 早稲田大学合唱団と改称。
- 1945年(昭和20年) 終戦直後の混乱のなか、11月には残った学生で練習を再開。
- 1946年(昭和21年) この頃からグリークラブと名乗り始める。
- 1949年(昭和24年) 第2回全日本合唱コンクール全国大会学生部門優勝(名義は「早稲田大学音楽協会合唱団」)。グリークラブに所属していた関屋晋が、早稲田大学コール・フリューゲルを設立し、独立。
- 1975年(昭和50年) ショスタコーヴィチ「交響曲第13番」日本初演の合唱を担当。
- 2003年(平成15年) フォンテックより、グリー単独のアルバム『Natus in curas』をリリース。
- 2007年(平成19年) 早稲田大学創立125周年、早稲田大学グリークラブ創立100周年。小田和正に「創立100周年記念愛唱歌」を委嘱。
演奏会
主な演奏会は以下の通り。