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高田文夫

高田文夫



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Wikipedia

高田 文夫(たかだ ふみお、1948年6月25日 - )は、日本の放送作家、タレント。本名は高田 文雄(読み同じ)。愛称は「高田ギョロメ文夫」「高田先生」。

落語家として、「立川 藤志楼」の高座名で落語立川流Bコース入りしている。「駄句駄句会」同人、俳号は「風眠(ふうみん)」。生年月日は沢田研二・誠直也と同じ。長男は日刊スポーツ記者の高田文太。

経歴・人物

生い立ち

東京都渋谷区富ヶ谷に生まれる。父の高田栄三は歴史書関係の出版社国文社の経営者で、丹羽文雄と仲が良かった事から「文雄」と名付けられた。父方の親戚は出版社の経営者が多く、雑誌『映画評論』発行人高田俊郎もその一人で、芸能好きは彼の影響が大きい。母方は代々、渋谷で鳶の頭を務めた。兄弟は姉2人。

5歳の時、世田谷区千歳船橋に引っ越しして、そこで育つ。近所に森繁久彌宅、清川虹子宅があった。

小学校時代に『おとなの漫画』(フジテレビ)に強い影響を受け、青島幸男を目標に放送作家を志す。世田谷区立船橋中学校、日本学園高校を経て、日本大学芸術学部放送学科に入学し、落語研究会(日本大学芸術学部落語研究会)に所属。中学の同級生に俳優の志賀廣太郎が、高校の同級生に俳優の荒木しげるが、大学の同期に高井正憲、古今亭右朝が、後輩に森田芳光がいる。立川談志に心酔し、談志の著書『現代落語論』がバイブルで、「落語の才能が無い」と森田を辞めさせている。「青島幸男に憧れて早稲田を志したが、出来が悪かったので諦めた。」と著書に記した。

中学高校でエルヴィス・プレスリー、ビートルズの洗礼を受けたロック少年でもあり、高校時代はボーカルとして「高田バンド」を結成して、フジテレビの番組『勝ち抜きエレキ合戦』にも出演した。当時から既に、ライブでは曲の合間に漫談やコントを入れていた。高校3年生の時に、来日したビートルズの武道館公演を見るが、「演奏テクニックがたいした事がない。」と熱が冷め、以降は演芸少年に変わる。

放送作家

大学卒業後は放送作家の塚田茂に弟子入り(のちに破門)し、「スタッフ東京」設立に参加。1973年『ひらけ!ポンキッキ』で放送作家デビュー。

その後、『時間だヨ!アイドル登場』(日本テレビ)『ロッテ 歌のアルバム』『笑ってポン!』(以上TBS)、『スターどっきり(秘)報告』『夜のヒットスタジオ』『オレたちひょうきん族』『らくごin六本木』(以上フジテレビ)、『笑アップ歌謡大作戦』(テレビ朝日)、『三波伸介の凸凹大学校』(テレビ東京)、『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)、フジテレビの正月の名物番組『初詣!爆笑ヒットパレード』など数多くのバラエティ番組を手がける。『スターどっきり』『凸凹大学校』などの番組テーマ曲の作詞も手がけた。

著書の『江戸前で笑いたい』やテレビ史の番組のインタビューでは、構成を担当していた『ひょうきん族』の裏番組であり、かつ高田自身も一時期構成を担当していた『8時だョ!全員集合』への対抗心から、いかりや長介の傲慢ぶりを批判したり、ドリフはアドリブがなく自分が考える笑いとは違うなどと述べていた。

2009年より、日大芸術学部時代からの友人で放送作家の松岡孝に頼まれ、放送作家養成セミナーの講師を務めた。

2022年現在、番組構成の仕事はほとんど行っていないが、後述するタレント活動や作詞、プロデュースなどを手がけている。

弟子

松岡 昇(まつおか のぼる)1962年、山口県生まれ。日大在学中に弟子入り。『ビートたけしのオールナイトニッポン』のハガキ仕分けを皮切りに、笑福亭鶴光、伊集院光、ナイツ、清水ミチコなどのラジオ番組を担当。清水ミチコをアネキ、?橋克実をアニキと尻尾を振る姿から、師匠・高田に「子分肌マツオカ」と命名される。妻はニッポン放送の増山さやかアナウンサー。

元祖爆笑王(がんそばくしょうおう、本名:高橋 裕幸(たかはし ひろゆき))


 

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