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朝丘雪路



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Wikipedia

朝丘 雪路(あさおか ゆきじ、1935年7月23日 - 2018年4月27日)は、日本の女優、タレント、舞踊家、歌手、司会者。本名は加藤 雪会(かとう ゆきえ)、旧姓・勝田。

東京市京橋区(現・東京都中央区)築地生まれ。元宝塚歌劇団月組娘役。父は日本画家の伊東深水。夫は津川雅彦、娘は真由子。義兄は長門裕之、義姉は南田洋子。日舞の深水流家元として、深水 美智雪の名を持つ。遠戚に宮川大輔。

来歴

料亭「勝田」女将の勝田麻起子の娘として生まれる。芸事を好んだ母の勧めで、3歳より日本舞踊を花柳三之輔に師事。妾腹(非嫡出子)ではあるが父の伊東深水に溺愛され育つ。泰明小学校へは養育係とともに人力車で通学しており、養育係は登校から下校までの間、彼女を車屋と学校で待っていた。深水の過保護ぶりは朝丘が思春期を迎えても続いていた。それを見聞きしていた友人、小林一三に「このような浮世離れした生活をさせていては、娘さんがだめになる」と意見されたこともあり、深水は渋々ながらも、朝丘がいずれは実家を出て生活することを了承したという。

山脇学園中学校卒業後、宝塚音楽学校に入学。1952年同校を卒業し、宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は31人中8位。同期の39期生には女優の真帆志ぶき(元雪組男役トップスター)、東千代之介夫人の千之赫子がいる。月組に在籍し娘役として活動。 1955年8月31日に宝塚歌劇団を退団。最終出演公演の演目は月組公演『黄色いマフラー』。

1960年代には『11PM』のアシスタントを務め、人気を集めた。

1967年青森県八戸市の内科医師と結婚、男児をもうける。1968年離婚(正式な離婚成立は1972年、子供は夫側が引き取る)。1973年津川雅彦と再婚。1974年3月真由子を出産。

お嬢様育ちのおっとりしたキャラクターと常識外れな天然発言が人気を集め、バラエティ番組に多数出演。後に深水流家元として、青二塾で日舞の講師を勤めた。

1981年、文化庁芸術祭賞優秀賞受賞。2003年、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2011年、旭日小綬章受章。

2014年、古巣・宝塚歌劇団の100周年記念で創立された『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂入り。これと前後して4月9日から13日まで夫・津川雅彦と娘・真由子との家族共演で行われた舞台『花や…蝶や…』に出演したが、これを最後に病気療養生活に入る。

2018年4月27日、死去(満82歳没)。死去についてはしばらく公にされず、同年5月19日にメディアにより一斉に報道された。最晩年にはアルツハイマー型認知症を患っており、最終的に津川が引き取って看取っている。翌20日には津川が会見を開いている(結果としてこれが津川の最後の公の姿となった)が、津川曰く「死因はない」とされ、診断書にも認知症と書かれたらしい。

遺作は、テレビドラマでは2014年4月11日フジテレビ放送の2時間ドラマ「銭女」で、映画では『プラシーボ』(遠藤一平監督・2016年公開)となった。

朝丘の死去から約3か月後の8月4日に津川もその後を追うように死去している。

末期には社長をしていた個人事務所を閉鎖し、津川も所属していた事務所に移籍しているが形式的な物であり、両者が死後は事務所間の情報共有に苦労し、お別れ会の開催まで手間暇がかかったという。

2018年11月21日、津川雅彦と合同の「お別れの会」が青山葬儀所で営まれた。

戒名は「李雪妙路大姉」。墓所は京都市右京区の龍安寺に津川とともに眠っている。

人物


 

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