文学座に所属する山像かおり、松本祐子、奥山美代子が主宰する演劇ユニット・西瓜糖。酸いも甘いも噛み分けた経験豊富な女3人がつくり出す世界は、幽玄にしてエロティシズム。長年、演劇の一線で磨いてきた手練手管で観る者を作品の中にのめりこませる力がある。
そんな彼女たちの新作『うみ』が2016年9月7日より中野のテアトルBONBONにて上演される。果たして今度の西瓜糖は、どんな味がするのだろうか――。
男性には描けない、にじみ出るようなエロティシズムの世界
――― 西瓜糖の座付き作家は秋之桜子。これは、女優・山像かおりの筆名である。女優・声優としてキャリアを積んできた山像は、05年、自らが主宰する企画集団・羽衣1011で脚本家デビュー。10年には、『猿』が劇作家協会新人戯曲賞優秀新人賞を受賞。翌年、文学座有志によって再演された。この時、演出を手がけたのが松本祐子。出演者のひとりに奥山美代子がいた。
松本「それまで秋之さん(山像)の書いていたものってわりとライトなエンタメ作品が多かったんです。でも、『猿』は二・二六事件直後の時代を生きた男と女のエロスの物語。かなりヘビーで、こんなものが書けるんだって驚きがありました。それで、奥山さんが“せっかくこれだけ書ける人がいるんだし、四十路女の色気や毒気が出せる作品を一緒につくれたらいいね”って言い出して。その言葉をきっかけに、西瓜糖が生まれたんです」
――― 秋之の持ち味は、静謐で濃密な空気の中から立ちのぼる密やかで艶やかなエロス。その独特の手触りや匂いに、目の肥えた演劇ファンも賛辞を送っている。
山像「大人の色気って言ったら単純で嫌なんですけど、年齢を重ねたからこそにじみ出るものがあると思うんですよ。役者さんの中にも、立っているだけでにじみ出るものを持った方がいるじゃないですか。西瓜糖では毎回そういう濃い役者さんたちにお願いをしています。台本はいつも当て書き。今回もバラバラの個性を持った方が集まったので、みなさんの雰囲気を利用しつつ、そこに人間関係を溶かしていくような感じで書ければと思っています」
松本「彼女には男性の作家には書けないものがあるんですよね。たぶん男性に比べて、ずっと感覚的なんだと思います。秋之さんの台本を読んでいると、絵が浮かんでくるんですよ。しかもそれが引きの絵というよりも、女の持ったコップとか、うなじとか、アップの絵ばかり。たとえば台本の中に書かれた花の赤色がバッと目に飛び込んでくるような、そういう感覚的な強烈さを持った作家ですね。だからいつも初見で読んだ時の感覚的な匂いや質感を活かした演出を心がけています」
美しき日本語によって紡がれる、欲深き人間の本性
――― そこはかとなくも強烈な世界観を支えるひとつの要素が、秋之の紡ぐ文芸性の高い日本語だ。
山像「綺麗な日本語ってとてもセクシャルに感じるんですよね。綺麗なんだけど、どこかいやらしさがあるというか。だから、特に男性の方には“絶対に喋りやすいような言葉に変えないでください”とお願いしています(笑)」
奥山「がっちゃん(山像)の台本は『猿』から数えてもう6作目。古風な言い回しにも慣れてきたところはあります。それに、私も美しい日本語は大好き。普段なかなか使わない言葉だからこそ、作品の中でそういった言葉を喋ることができる喜びもありますね」
松本「それに、今の世の中では使わない言葉をあえて使うことで、にじみ出てくる人間のいやらしさや業の深さってあると思うんですよね。そういうものを作品の中でしっかりと表現できれば」
奥山「あと、普段の会話はすごくシンプルで短い言葉が多いんですけど、何か事件が起きると、一気に登場人物がどわっと喋り出すのも、がっちゃんの台本の特徴。台本1ページくらいある台詞を猛然と喋るんです。そういうところはすごくドラマティックで好きですね」
山像「この人、もう何十年も演劇をやっているのに、いまだに台詞が多ければ多い方がいい役だって思っているんですよ(笑)。普通、キャリアを積んでいけば、台詞の量よりもっと別のところに魅力を感じるもの。でも彼女は違うんです。毎回、最初の本読みは“今回、私の台詞少ないよね”ってブーブー言ってる。そこが彼女らしくて面白いところですね(笑)」
奥山「普段喋るタイプじゃないから、いっぱい喋らせてもらえるのが嬉しいんですよ(笑)。やっぱり自分じゃないものを演じる方が楽しいじゃないですか。演じている方も、それだけ膨大な長台詞をこなすと、ある種のカタルシスを味わえますしね(笑)」
戦争が日常だったあの夏のひとコマを切り取りたい
――― 本作の舞台は、終戦間際の日本。ある海辺の家の離れで、様々な事情を抱えた複数の男女が生活を共にしている。ジメジメとした小さな部屋。日常を侵食する死の足音。狭い室内に密集する生と性の匂い。戦時中という時代背景の中で敢えて日常のエロスを扱うことに、作家・秋之桜子の妙味がある。
山像「おばあちゃん子だった私は、よく祖母から戦争の話を聞かされていました。だから戦争って自分の中では遠い過去の出来事というよりも、意外と手触りのあるものという感覚があるんです。戦争モノの作品って、空襲があって、みんなが炎の中を泣きながら逃げ惑ってっていうところばかりが取り上げられがち。でも、当時生きていた方にとって戦争って本当はもっと日常なんですよね。もちろん空襲もあるけれど、その中で笑うこともあるしセックスだってする。私の書く戦争時代の作品って、当時を知らない人が見ると“この時代にこんなのありえない”っておっしゃるんですけど、その時代を生きていた方はすごく共感してくださるんです。“そうそう、こんなふうだったんだよね”って感想をいただけると書いて良かったと思うし、自分の書くものをこれからも信じていく支えになりますね」
――― 台本執筆はこれから。松本も奥山もその完成に大きな期待を寄せている。
松本「戦争もどんどん末期に近づいて、日本の敗戦を疑う人もいれば、それでも勝利を信じている人もいる。いろんな価値観を持っている人たちが狭い部屋に押し込められて、さらにそこに欲望や利害関係が生まれていくんですから、もう絶対に何か起きないわけがない。ものすごく濃いマグマが内在しているなと感じます」
奥山「そこに祐子ちゃんの演出が加わるわけですから、まぁ、絶対に面白くなるだろうと。祐子ちゃんは、すごく相手との関係性を大事にする演出家。役者同士の間に起きていることに嘘がないことに強くこだわりますね。そういうところの感性が似ている演出家だからこそ一緒にやっているのだと言えますがね。」
――― 時代背景こそ70年も過去に遡るが、「現代の私たちの生き様と作品世界の女の生き様が呼応することによって今の世の中に何かしらの楔を打ち込みたい」と松本は意気込む。
松本「今の日本も、韓国や中国を好きな人もいれば、そうじゃない人もいるように、いろんな価値観と個人的な利害関係がないまぜになっている。きっと今の状態だって、もう少し時間が経って振り返ってみたら、“何であの時もっとああしておかなかったんだろう”って思うことだらけのはず。戦争末期に生きていた人も、今の私たちも、そういう意味では何も変わらない気がするんです。日本の行く末についてある種の恐怖心を抱えながら、個々人が瞬間瞬間において必死に最善の選択をしようとする。その姿が美しくもあるし悲しくもありますよね。この作品でも、そんな人々の葛藤を色濃く出していけたら」
山像「人の死が日常になって、何とも思わなくなっている毎日の中で、普通にご飯を食べるし、性的欲求もわく。お客さんには、そんな登場人物たちを観ながらエロティックな気分を味わいつつ、“え、ちょっと待って、戦時中だよね”っておかしな気持ちになってもらえたらいいなと思っています。そして観終わった後は、ぜひ一緒にご覧になった方と感想を言い合ってほしい。そんな演劇を、西瓜糖ではつくりたいんですよ。この作品が、戦争について知ってみようというきっかけになったら嬉しいし、それが戦争体験者を親に持つ私たち世代の役目なのかなとも思うんです」
――― 熟練の役者たちが織りなす上質な虚構世界。その奥深き味わいをとことん堪能し尽くしたい。
(取材・文&撮影:横川良明)