俳優・声優・演出家としてさまざまな作品や舞台に関わる外波山文明が主宰する劇団椿組が、新宿花園神社で行っている野外劇の新作『ドドンコ、ドドンコ、鬼が来た!』を7月に上演する。作品ごとに外部から作演出家を迎えるのが椿組のスタイルで、本作は脚本を秋之桜子(女優・山像かおりが脚本を手がける際のペンネーム)、演出を松本祐子が担当。演劇企画集団・西瓜糖(すいかとう)でも活動を共にする2人は、椿組が2015年に下北沢スズナリで上演した『星の塵屑ペラゴロリ』でも作演出を務めたが、野外劇に関わるのは今回が初めて。
「椿組の野外劇は何度も観ていて、いつも楽しい」と話す秋之と、プロデューサーとして、そして役者として彼女の脚本に期待を寄せる外波山に、新宿ゴールデン街のクラクラ(外波山が経営するバー)で話を聞いた。
人間の根源的なものから生まれるエネルギー
――― 外波山さんと秋之さんのご縁はどのように始まったのですか?
秋之「もともと私は以前から椿組のファンで、トバさん(外波山)は覚えてらっしゃらないかもしれないけど、2012年の野外劇『20世紀少年少女唱歌集』を観に行ったときに、自分が書いた脚本を渡したんです。とにかくこれを読んでくださいって」
外波山「覚えてる覚えてる」
秋之「『20世紀〜』の演出は松本祐子だったんですけど、そのときはまだ西瓜糖を立ち上げる前で祐子ちゃんとは接点がなく、トバさんに紹介してもらえたとしても、脚本を読んでほしいという人は山のようにいるだろうなと思っていたら、『20世紀〜』のキャストの中に、文学座の後輩の亀田佳明君がいたんです。彼は私が脚本を書き始めた初期の小さな作品から出てくれていて、私の作風も知ってくれている。それで、どうすればトバさんにアタックできるだろうって相談したら、小細工は通用しないからまっすぐアタックした方がいいって言われて。それを実行したのがあのときなんです。なんだコイツって思われたかもしれないけど」
外波山「(笑)」
秋之「その後、奧山美代子が祐子ちゃんと繋いでくれて3人で西瓜糖を立ち上げて、それをトバさんも観に来てくれたり手伝ってくれたりという繋がりがすぐにできたんです。亀田君の言葉があったおかげで脚本を渡せたところからこういう流れが生まれて、本当に運が良かったと思います。
その後スケジュールなどの都合もあり、『〜ペラゴロリ』を書くまで少し時間が空きましたが、最初にここ(クラクラ)で台本を読んでもらったときは、心臓が飛び出るかっていうくらいドキドキしました。すごく怖い人だと思っていたから(笑)。でも、ちゃんとやることをやれば自由にさせてくれるということがすぐにわかりました」
――― 外波山さんは、秋之さんの書いたものにどんな印象を?
外波山「西瓜糖の作品でもそうですが、人間の根源的なものから生まれる庶民のエネルギーみたいなものを感じます。性的なことも避けて通らず……ここまでやるかっていうときもありますけど(笑)、一人一人の人間が全員生きている。登場人物が多くなると、どうしてもガヤみたいな人がどこかで出てくるものですが、僕も役者なのでそういうのは嫌なんです。でも彼女の作品は、人数が多くても一人一人がそれぞれの役割を負って物語を紡いでいるので、そこはすごく嬉しく思いながら観ましたね」
秋之「私も椿組の野外劇を観ていて、どの登場人物も面白いっていう印象がいつもあるんです。だから何度も観たいというか、昨日はこの人を見たけど今日はあの人を見たいっていうように、リピーター率が高いのもよくわかる」
歴史ある神社の地べたに立つ
――― 今回の新作『ドドンコ、ドドンコ、鬼が来た!』は特にキャストの数が多いですね。
外波山「そうすると、中にはその他大勢的な役もあるかもしれないけど、今度はそれをその他大勢にさせないのが役者なんです。たとえ通行人みたいな役でも、どう爪痕を残して帰るかというのは役者が考えること。そこは作演出が隅々まで描いてあげなくても、大きな幹になる話さえ作ってあれば、枝葉の部分は役者なり皆で作り上げていける。スタッフもそのためにいるわけで、例えばちょっとした小道具の使い方1つで台本以上のものが動き出すこともある。
うちの場合、稽古場の横に小道具さんの作業場もあって、こんな小道具が欲しいって役者が言うとすぐに作って持ってくる。そうすると話がまた広がっていくし、稽古中にアドリブで出てきたものを台本に入れて、その場で作ったシーンとしてやっていくこともできる」
秋之「そういう意味ではスタッフの力を信じて、ワクワクしています。あえて台本に書かないで演出に任せるとか、現場で現れることに期待したり……そこは祐子ちゃんとも確認し合っているところです。西瓜糖ではお互いが言葉1つにも揉めるくらいカチッと作っているので、今回の作り方は新しいし、野外劇ということもあって頭でっかちになりすぎないように、ダイナミックに作っていきたい。そういう場を提供していただけてとても嬉しいです」
――― 江戸時代の街道の宿場町が、ある出来事を機に変わっていく物語だそうですね。
外波山「のどかに暮らしていた小さな里に騒動が起きる。そこには現代の日本社会にも通じる問題意識も込められていますが、あくまでも人間のドラマとして見せたいし、お客さんはそれぞれの立場でいろんな見方をしてくれればいいと思います。
そして、前回の野外劇『贋・四谷怪談』では久しぶりに舞台を組みましたが、今回は地べたでやろうと思っています。江戸時代の話でもあるし、街道沿いの里の話なので、地べたというところを強調した芝居として作り上げようと。特に、神社の地べたというのは神聖な場所、歴史のある場所でもあるので、役者が軽々しく立つと吹き飛ばされそうなものがあるんですよ。普通の劇場と違って、一人一人がドンと居ないと生きられないし、空気に負けてしまうし、土に負けてしまう。俺はここで生きてるぞという思いを持てるような、太い柱が必要です」
秋之「私は山像かおりとして出演もするわけですが、土の上に立つのは初めてなので、そこで得られるものとか、怖さもあると思います。きっと、どういうふうに立てばいいんだろうってなると思うし」
外波山「今回、キャストの半分くらいは野外劇が初めての人です。劇場ならゲネプロでだいたいの空間はわかりますが、野外の場合は舞台に出ていっても壁はないし、車の音や人の話し声は聞こえるし、雨が降っていたら雨音がするし、お客さんの向こうには奥深い闇が広がっていて……そんなところでは、役者が自分の着物の裾がどうのこうのなんて小さなことは吹っ飛んでしまいます」
秋之「そうでしょうね。そこでは台本もガイドと言ったら言い過ぎかもしれませんけど、その場でいろんな力をもらって変わっていくんだろうなと思います。今はまだ想像でしかありませんが、そこからもらえる力というのは、きっと想像以上に果てしないんじゃないかと思うし、それに立ち向かえるものを書かなきゃいけないと感じています」
お祭りに出かけるような気持ちで来てほしい
――― 最後に、椿組野外公演を初めて体験するお客様に向けて一言お願いします。
秋之「一言で言うと、とにかく楽しいです。今どきビールを飲みながら観られる演劇ってそんなにないし(笑)、ちょっと昔のお芝居ものを観ている気持ちにもなれる。仲間同士でワイワイ観てもいいし、一人で観に来ても面白いと思います。喋っちゃいけない、シーンとして観なきゃいけないということはなくて、一緒に笑って一緒にザワついて、一緒に声を出していい。そういう場ってなかなかないんじゃないかな」
外波山「僕が目指すのは昔の芝居小屋。贔屓の役者さんが出てきたら“待ってました!”って声をかける、祭りみたいな雰囲気ですね。芝居小屋に赤い提灯がついて、現実世界からハレの舞台にスーッと迷い込む。日常とちょっと違う世界に、気楽に心を預けてほしいです。そして、中身の芝居は僕ら役者やスタッフが命をかけて作る。それをビール飲みながら観て、どこかのセリフがちょっと心に引っかかったり、後ろから殴られたような衝撃があって、終わったら背中に瘤ができていたとか、そんなものを背負って家に帰って、次の日に“あれは何だったんだろう、夢だったのかな”ってちょっと思い出したり、考えてみたりする。僕らの芝居というのはそういうものだと思っています。だからあまり構えずに、気楽に来てほしいですね」
秋之「そう! お祭りに来るみたいな気持ちで足を運ぶのがいいかもしれませんね。実際、花園神社の雰囲気もほんとにお祭り会場みたいなんです。これは言葉で説明してもなかなか伝わらないから、ぜひ来てほしい! そして、もし時間がある方は、芝居小屋ができる前の花園神社も一度見ておいていただけると、もっと面白いと思います」
外波山「そして、終わって3日後くらいに来ると、跡形もなくなっている。昔、更地にサーカスのテントができて、興行が終わると跡形もなくなっていたっていう、あの感じです。終演後には毎日打ち上げをやっていますので、余韻に浸りたい方はその場に残って、カンパ制で振る舞い酒を一緒に飲んでいただけます」
秋之「そういうのも売りの1つですね。初めて来る方も絶対に楽しいと思います!」
(取材・文&撮影:西本 勲)