5月に紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYAで上演される、こまつ座第121回公演『たいこどんどん』。江戸から東京へと移り変わろうとする時代、たいこもちの桃八と江戸で指折りの薬種問屋鰯屋の跡取り息子・清之助が、ひょんなことから北へ向かい、帰りたいのに帰れない、9年にわたる珍道中を描いた作品だ。23年ぶりの再演となる今回、桃八を柳家喬太郎、清之助を窪塚俊介が演じる。
出るより観たい作品。引き受けたことを後悔してるくらい
――― 昨年末に読み合わせをされたそうですね。
窪塚「長かったですね(笑)」
柳家「いや本当に。名古屋くらい行って帰って来られる程度には長かった」
――― お稽古前ではありますが、今の時点で、作品への印象はいかがですか。
柳家「感想を持つこと自体が、井上先生に対して不遜な気はするんですが、なんて面白いんだろうと思います。演劇ファンなので、なんで俺これに出るんだろう? 観に行きたいなって」
――― そんな素敵な作品にご自身が出られるという喜びは?
柳家「後悔ですね(笑)。なんで受けちゃったんだろうと。台詞の量がね……初めに言っといてくれよと。まあびっくりしましたね。それを言い訳にしたらいけないんですけど、ただでさえ普段と違うことをやらせていただくので、それだけでもいつもドキドキするんですが、特に今回は、本当に不安で。ただね、本職の役者さんたちと顔合わせした時に、皆さん一様に不安そうだったんで、仲間がいっぱいいて良かったっていう感じはするんですけどね」
窪塚「でも、ある意味、違う角度からですけど本職なんじゃないですか」
柳家「たいこもちと噺家は似てますからね。そういう意味では、やりやすいのかもしれないと思うんですけどね。ただ、落語って、一言一句は覚えないんですよね。実は昨日も、とある所でやらなきゃいけない落語があったもんですから、一昨日別の所で稽古がてらやって、そっちではうまくいって。肝心の本番の昨日がですね、一箇所ちょっと台詞というか、これ説明しなきゃってところがポーンと抜けたんですよ。喋ってて、いけね、あれ抜けた、と思ったんで、お客さんに分かんないようにごまかして又それを戻してってやったんですけども。それ、1人だからできるんですよね。相手のいるお芝居だと、それをやるとご迷惑がかかるので、それが気になってますけどね」
――― たいこもちと噺家が似ているというのは?
柳家「着物着て扇子使って『よ〜っ』てなことを言って、お客様の機嫌をとるわけです。ただ決定的に違うのは、我々は高座の上に1人で、お客様5人とか10人とか、大人数だったら何百人とか、一対多で、こっちが発信するだけです。たいこもちの師匠方は、面と向かって、少人数を会話しながら遊ばせるわけですから、そこは決定的に違いますよね。とにかく相手を気持ちよくさせなくちゃいけないし、私もプロのお師匠さんとご一緒しましたけど、やっぱり30人からの宴会を片っ端からよいしょして回って、すげえなやっぱりって。(役柄と)近いからやりやすいなって気持ちもありつつ、近いからこそ、噺家になっちゃいけない、たいこもちじゃなきゃいけないわけじゃないですか。そこが逆にちょっと怖いですよね」
背伸びをしてもきっと通用しない、圧倒的な作品
――― 窪塚さんは、作品にはどういった印象をお持ちですか?
窪塚「井上先生のファンなので、この作品もすごく昔に読んだことはあったんです。その時は、言葉の遊び方というか、唯一無二、天衣無縫の才能に圧倒されてたんですけど、自分がやるという前提で読むと、圧倒されすぎて慣れるというか。どうやって次のステージに行けばいいか、これをどういうふうに自分がやるのかと考えると、やっぱり背伸びしたくなっちゃうんですけど、それじゃ絶対通用しない。戯曲を読んでると、自分の役に関係ない、桃八が1人でやっている部分なんて本当に面白くて、全然役作りとかじゃなくて普通に読んじゃってる自分がいるんです。役作りとか世界観とか思いながら読み始めるんですけど、最終的には面白かった!って普通に読み終わるか、途中で力尽きて寝ちゃってます(笑)」
柳家「圧倒されちゃって、うわ、こんなに台詞があると思いながらも、読んでて楽しいんですよね。とても楽しい。これ、覚えて喋れたら、そりゃ楽しいだろうなと思いますよ。言葉遊びの勉強にもなるし、なんか、井上先生の頭の中の、ほんの端っこだけでしょうけど、覗いてるみたいな楽しさがありますよね」
テンポのいい台詞と歌で楽しむ、江戸〜東北への珍道中
――― 戯曲を拝読すると、台詞量は確かにすごいのですが、いろんな地方の方言、言葉遊びや駄洒落、それにシモのお話まで、とにかく面白かったです。
柳家「読んであれだけ面白いものをやるというのは、プレッシャーというか。読んで面白いものをやってつまんなくしちゃったら申し訳ないじゃないですか。だったら読んでた方がいいよねって。舞台でやる意味がないわけですから。そういう怖さがありますよね」
窪塚「ですよね。師匠が江戸っ子ってものに本当に精通されているので、ちょこちょこっとした話を稽古場でたくさん聞けるっていうのは心強いしありがたいです」
柳家「辞書に載ってないような言葉とか出てきますから、調べようがないんですよね。多分、検索すれば出てくるとは思うんですよ。でも、言葉だからニュアンスのものが多いじゃないですか。この言葉を説明するとこうなるんだろうな、でも実際落語の中で使うときは、このニュアンスとも違うよなってことがある。そういったところで、若干でもお役に立てればいいなとは思いますけどね」
――― そんな喬太郎師匠の存在が、23年ぶりの再演をこまつ座さんに決意させたのでは? この役をお願いできる方はなかなかいらっしゃらないような気がします。
窪塚「本当にそうですよ。この役は人を選びますよね」
柳家「いやいや、こまつ座さん自体も、これ迂闊にやったらやべえんじゃねえかって思ってらっしゃったんじゃないでしょうか(笑)。ただね、たいこもちが出てくる落語っていっぱいあるんですけど、落語だと、調子で喋れる。言葉のリズムだけでいけちゃうんですね。でも舞台では、やっぱりここにいる若旦那と会話が成立しなきゃダメじゃないですか。僕、前に別の芝居に出させてもらった時に、一応相手の台詞を待って喋ってるんだけど『喬太郎さん、一人で喋ってますよ』って言われちゃったんですよ。会話になってなかった。そこが噺家の怖いところですよね。今回は近い役だからこそ、尚のこと怖いですよ」
窪塚「なるほど。あと、歌もありますもんね」
柳家「そうなんですよね。歌があって、窪塚さんは三味線もありますもんね」
窪塚「なんかもう、やることが盛り沢山すぎて、どっかで、いい意味で諦めるというか。吹っ切れができてます」
柳家「そうそうそう! あとは劇中、富本節っていうのが出てくるんですけど、寄席のお囃子の仲間に聞いたら、富本節って今もうほぼ絶滅してるんですよね。本当に邦楽に精通してないと富本は聞いたことがないっていうんです。せめてCDだけでもと思っても、それもない。浄瑠璃の一種なので、そういう調子でなんちゃってで行くしかないのかなって思いますけどね」
――― それが分かっていらっしゃる時点で下地が違うといいますか、アドバンテージがあるのでは?という気がしますが。
柳家「そんな風に言ってると足下掬われるんですよ。そういうことがよく落語でもあります。でもね、まあ役者さんもそうだと思うんですけど、どんなに不安でも心配でも、覚えてないよって時でも、出囃子鳴っちゃったら出るしかないんで。出囃子鳴ったら腹が決まるんですよね。あーもうしょうがない、俺が恥かきゃいい、って高座に上がっちゃう。そん時に逆に、ちょっと面白いものができたりすることがあるので、そういう気持で稽古して、本番に臨むしかないんだろうなって気がしますけどね」
窪塚「本番で全然違うとかは止めてくださいね(笑)」
柳家「去年ある芝居に出させてもらった時も、師匠の台詞は何となく合ってるんです、大体そんなふうに言ってくれればいいって感じには言ってるんですけどね、って言われましたね」
窪塚「(笑)。今回は、一字一句って念を押されてますもんね」
――― 井上作品に出演される役者さんは皆さん、“てにをは”まで大事に、とおっしゃいます。
窪塚「やっぱり、そうですよね」
柳家「そこに面白さがありますからね」
舞台ならではの皆で作り上げる楽しさを感じながら、新たな挑戦を
――― 喬太郎師匠は、これまでもいくつかの舞台作品に出演されていますが、落語とは違う、舞台ならでの面白さや醍醐味のようなものはお感じになりますか。
柳家「出さしていただく時にいつも感じるのは、やっぱり僕らは1人の仕事なので、皆で作り上げていく楽しさっていうことは、とてつもなく思うんですよね。稽古場の雰囲気だったりとか、本番にしても。あとは、落語って1人で言葉だけで演じますよね。よく、落語は何でもできるって言われるんですよね。例えば、舞台の転換とかしなくても、『わあわあ言っているうちに、3年が経ちまして』って言ったら、一瞬で1人で3年経っちゃうわけです。だけど、お芝居見てると、これは落語じゃできねえなってことがあるんですよね。役者さんたちの躍動感だったりとか、逆に静寂だったりとか、そういったものは、こりゃ落語じゃできないな、と。だからお芝居って素晴らしいと思うし、そこに加われるってことは、本業の方にも必ず還ってきますので、お話いただける限りは出たいなって」
――― おかげで、我々観客は舞台の上の師匠を拝見できるので、ありがたいです。
柳家「落語だと、前座さんが一番基礎の修行の時期じゃないですか、3年とか4年とか。今は昔ほどじゃないけど、よく言われるのが、人間扱いされないと言うと極端ですけど、白いものを黒って言われりゃ黒なんだと。でも、長い人生のうちのたった3年辛抱できないんだったら、噺家なんかできないよって。そう考えると、この舞台は本番が2週間、稽古がひと月、その前からの準備があっても、たった三月じゃないですか。だとしたら、噺家でこまつ座に出させてもらえるなんてまずないことなので、もちろん、後悔は本当にあるんですけど」
――― そこは本当なんですね(笑)。
柳家「もちろん本気で言ってますよ、笑わせようと思ってないですからね。本気で後悔はしてるんですけど。ただ、終わった時には、他の噺家さんにはない、ものすごい財産が僕の中に生まれるはずなので、後悔とか苦しみ、苦しみを苦しみと思わないように。若干Mっ気ありますんで、そういうつもりでやればいいのかなと」
窪塚「今すぐにパッとできちゃってもつまんないですよね」
柳家「その通り。窪塚さんは今おいくつ?」
窪塚「36です」
柳家「僕は54なんですよね。50代半ばで、ま、本業だったらまだまだ新しい落語を覚えるってありますけれども。50代半ばで、こういうことに新たに挑戦する機会をいただけるっていうのは、ありがたいことだと思うんですよ。昭和だったらもう定年ですからね。この年で新しいことにチャレンジさせていただけるのは幸せ者ですよ」
(取材・文:土屋美緒/撮影:友澤綾乃)