2013年、前代未聞の1日4ステージ・計8時間のドビュッシー全曲演奏を達成したピアニスト・瀬川玄が、10月にピアノ独奏演奏会を開催する。クラシック音楽の神髄バッハ、その伝統の影響下に再び入った最晩年のドビュッシーの音楽芸術を表現する今公演への思いを聞いた。
――― まず、2013年のドビュッシー全曲演奏について聞かせてください。
「ライフワークと言いますか。全部で84曲あるんですけど、それだけレパートリーがあって、音楽的にもすごく大事な一角なんですね。子供の頃パリに住んでいたということもあって、ドビュッシーに触れる機会も多かったですし、2012年に生誕150年の記念イヤーだったことをきっかけに、じゃあいっそのこと全部勉強してみようか?と。それで1年間勉強して演奏会に臨みました。全曲単日演奏では、最後まで弾ききれないかもしれない、入場料お返ししてギブアップすることになるかも!?という恐ろしい想像も脳裏に浮かびましたし(笑)、途中キツいところもあったけど、なんとか最後まで演奏し通しました。ドビュッシーが若い時の曲から初めて順番にたどることで、ある人間の一生をざっと垣間見ることができ、また一般的に彼は印象派と言われているけれど、実際は象徴主義に近い人だったっていうことが分かったり、今までの常識と違う発見もありました」
――― そして、今回のプログラムでもドビュッシーを取り入れていますね。
「今年はドビュッシー没後100年。それを記念したプログラムを考えていたのですが、もう1度全曲演奏は今年はする気にはなれず……ドビュッシーが尊敬し、影響を受けたバッハも生誕333年なので、この2人を組み合わせたものにしようと思いつきました。バッハと並べてのプログラムなら、お写真から察すると気難しいであろうドビュッシーでも、きっと喜んでくれるだろうと思っています。あと、会場のヤマハホールが333席だというのも、生誕333年と繋がっているのかなと感じられました(笑)クラシック音楽における「聖数3のこだわり」に私は興味があり、面白いところだと思っています」
――― 選んだのは、ドビュッシー『練習曲集』、バッハ『フランス組曲 第4番 変ホ長調』『イギリス組曲 第5番 ホ短調』。どれも、演奏される機会が少ない作品のように思います。これらの作品について、詳しくお聞きできますか?
「『フランス組曲』と『イギリス組曲』は柔と剛の対比です。作曲時期はバッハ30代の頃、ケーテンという町の宮廷楽長の職にあり、教会音楽を離れて、器楽曲の作曲に充実していた頃の作品です。しかしこの幸せな時期は、最初の奥さんの死をもって幕切れとなります。バッハのハーモニーは、人生の幸福・不幸が音として表現されているかのよう。それは人類皆の人生観にも反映されるような普遍的な力を持っているようで、その世界と魂の会話を表現できたらと思っています。
『練習曲集』はドビュッシーの晩年に書かれたもの。芸術家、作曲家としての集大成へと向かい、前衛的な彼の音楽作りを推進しつつも、どこかバッハの古典の価値、基本的なクラシック音楽お決まりの和声進行が再び使われていることを再発見し、そこに戻ろうとしているのが見えます。全12曲それぞれに、彼の人生観、死生観、戦争の悲惨さ……斬新さと古典的回帰の入り混じった、複雑かつ充実の音楽として聞こえるはずです。ドビュッシーが〈恐るべき手を持ったピアニストでないと弾けない〉という言葉を残したとも言われていて、テクニックとしても非常に難解。作者自身は、自作の初演を自身で演奏することを勧められたにも関わらず、それを拒否して他のピアニストに任せている事実もあります。そんな“恐るべき手”を私が持っているかは分かりませんが(笑)それに近づけるよう練習を積んでいます」
――― 会場となるヤマハホールには、ヤマハとベーゼンドルファーの2台のピアノがあって、当日は両方とも用いられるそうですね。
「日本のヤマハとウィーンのベーゼンドルファー、それぞれの長所を楽しんでいただけると思います。どの曲をどちらのピアノで弾くかは、今は内緒(笑)ご想像にお任せします」
――― 演奏会に向けて、ご自身なりの課題や挑戦する部分はありますか?
「いつもの僕のスタイルではあるのですが、当日は、暗譜ではなく、楽譜を見ながら演奏します。これが、暗譜ができないんじゃないかとか、手抜きじゃないかと批判されてしまうことがあるのですが、そうではないんです!と声を大にしてお伝えしておきたくて(笑)。20世紀のピアノの巨匠S.リヒテル先生も推奨されていたことであり、楽譜に書かれている詳細・綿密な音楽計画をできる限り全うするため、その方がより充実した音楽をお客様にお楽しみいただけるはずだと本気で考えてのスタイルですので、ぜひご了承ください」
――― では、最後に読者の皆さんへメッセージをお願いします。
「場所と時間、出し物は整ったので、あとは僕が頑張って最善を尽くし、お客様にそれを聞き届けていただきたく、多くの皆様のご来場を心よりお待ちしております」
(取材・文:土屋美緒 撮影:友澤綾乃)