鵺的は主宰であり全作品の脚本を担当する高木登と、女優の奥野亮子、そして宣伝広報担当の加瀬修一の3人からなる一風変わった演劇ユニットだ。外部から俳優を招き、さらに演出も高木自身が手がけない場合は外部から招いて舞台を創造するスタイルを取っている。その鵺的は昨年旗揚げ10周年を記念して「悪魔を汚せ」の再演を行った。初演時の評判が非常に高かったことで選ばれたのはもちろんだが、人間の心の底澱のように溜まったものを、見事にむき出しにした物語と、それを具現化する演出と俳優陣の力量に、客席は思わず感嘆と時に嫌悪のうめきを上げる、そんな舞台だった。 そんな作品は、現在一部で盛り上がる形を変えたアイドル推しのエンタメ・イベントにもなりかねない演劇(別にそれを否定はしないが、)には完全に背を向けている。しかし公演がほぼ満席だったところをみると鵺的の表現世界の支持者は確実に居ることになる。そんな彼らが10年という節目を越えた今後、どのように拡がるのかは実に楽しみなところだが、水先案内となるのは先日発表されたこの春の新作だろう。劇団員である奥野と「悪魔を汚せ」でも強烈な個性を見せつけた福永マリカにその話を聞いてみた。
――― 今回の作品「バロック」は新作ですね。
奥野「ええ、新作です。いまのところ私たちも配役を把握している程度なんです。高木さんはプロットを書かないので、それもまだありません。ただ「バロック」というタイトルと“例えば長野の山中にある古い洋館での物語”とか“かつては栄華を誇った家系”とか。そういった設定があるだけなんですが」
――― これまでの記録を見ていると“家”とか“血脈”といったキーワードが根底に流れる作品が多い鵺的ですが、今回もそうなりそうですね。
奥野「ええ、そうだと思います。ただキャストが総勢13人というのは、合同公演(tsumazuki no ishiとの「死旗」)を除いた本公演では最大人数になると思います。役者さんそれぞれのジャンルも多彩ですし、あまり見たことがない顔ぶれになりました」
――― 劇場も大きくなりますね。
奥野「下北沢のスズナリです。合同でやった「死旗」はおかげさまで満席でしたが、単独の本公演としては初めてです」
――― 着実にステップアップしている気がしますが、それを狙って企画されているのですか?
奥野「今までそういった意味で”狙った”作品はないですし、一公演ごとの達成感というか、満足しきるみたいなこともないです。あったら全部終わっちゃうのかもしれない。沢山の方に見て頂きたいという気持ちはありますが、ただただ動員を増やそうという意識とは違うなと。それでも私が最初に参加した「悪魔を汚せ」(2016)は駅前劇場でしたから、着実に規模はおおきくなっていますね」
――― 役者も多いし、空間も拡がりますから、また違った世界を見せてくれそうですね。
奥野「高木さんは他の演出家さんの場合に、自分の演出時ではやらないことを描いたりします。脚本も役者だけでなく、劇場と演出家に合わせてあて書きをするので、(演出が)寺十さんだとよりスケール感が拡がるし、それを活かせる劇場を選びますね」
――― 福永さんも鵺的の舞台には多数出演されていますね。
福永「高木さんの作品は今回で8回目です。初めて観客として観たのが「鵺的第一短編集」でした。3篇で構成される作品でいろいろなカップリングの人たちが出てくる短編集でしたが、その関係性というのが単純に白黒と割り切れないものでした。それは自分自身がずっと考えてきた関係性だったので、同じようなことを考えている人が居るんだという共感を持ったのが第一印象でした。
その後に自分が出演するようになっても、人を裁くための“法”では解決しきれないものを描いていると思います。他人が救ってくれない部分を救おうとしている。そんな部分がありますし、一言で言うと「悪」のパートであっても“そうならざるを得なかった”ように作っていくことを考えてます」
奥野「“そうならざるを得なかった”というのは、作品を作り上げる過程でよく出てくるワードです。「悪魔を汚せ」にはものすごい暴力シーンがありますが、初演の稽古でそのシーンを初めて通したときに私はそれを見ながら突然泣きました。それは怖いとか悲しいという感情ではなく『そうなるしかなかったよな』と思ったとき、もう為す術なくなってしまったんです」
福永「じゃあどうしたらよかったんだ?と思いました」
――― 確かに出口がない感覚を覚えるかもしれません。
奥野「じゃあ絶望を描きたいのかというと、高木さんも寺十さんもそして出演者も物語の中でその先にあるものは希望だと想って作っているんです。高木さんの言葉で好きなのが『本当の希望は絶望を越えた先にしか見つけられない』というのがあります、そこには嘘が無いなと思います。“希望”って凄くキラキラしているものだけでなく、例えばすれっからしでも、窓の隙間から射し込むほんの数センチの陽当たりでも構わない。それはそれで貴方にとっての希望でいいんだという愛ですね」
――― ところで前回の「悪魔を汚せ」のインタビューで、高木さんが福永さんの存在について力説していました。大手の芸能事務所に居たのに、そこを出てうちの公演にも参加してくれる奇特な人が居ると。キャリアを見る限り、モデルをはじめとしてキラキラした世界の方というイメージですが。
福永「確かに誰かから見れば、当時自分が居た場所は“キラキラ”に映るかも知れませんが、そこに居た頃は自分にとってそれが現実ですから、それなりの泥水をすすっていた感じはあります。私は子供の頃から容姿にコンプレックスがあったり、他人からも天才型ではなく努力型とさんざん言われた10代の頃がありました。自分の居場所はここではないと思うことも多かったんです。死ぬ気で努力しないと皆と同じ場所に立てないと思って健康を害した事もあったくらいです」
――― 傍観者の無責任な思い込みもあるでしょうからね。でも映画監督の若松孝二さん(故人)との共同作業など、なかなか面白い世界を渡り歩いてますよね。
福永「当時の事務所でサイトを作ってもらいブログを書くようになって、16歳の時、そのブログを見たプロデューサーから脚本の依頼をいただいたんです。若松さんとは、当時私が最年少脚本家だったので、最年長クラスの監督と組ませようという企画で、チャレンジが好きな若松さんにそこに乗って頂いたんです。だからいわばラッキーというべきもの。そしてそういったものにその都度救われて偶然に今ここに居る感じですね。
鵺的も自分がフリーになったタイミング、この先どういった道で行くんだろうと思っていた時にたまたまお声をかけて頂いたのですが、自分が抱えているものが役柄と重なったりというようなご縁に恵まれて今まで繋がってきた感じです。その時の自分に合っている環境と自分を助けてくれる人を渡り歩いていたらこうなったともいえますね。そんなわけでキラキラした世界から小劇場に来たという意識もないし」
奥野「でもその結果としてマリカさんもまた沢山の人を助け続けているんですよ」
福永「そうですかねえ」
奥野「お互い様という言葉が適切かどうかはわかりませんが、なにか新しいことをやってみたい、それに共鳴してくれる人を探そうとした時に、彼女が目に入ってしまう、そんな感じだと思うんです。だからマリカさんが色々なジャンルを経験してきたのは、まずマリカさん自身から色々な信号が発されていて、それに周りが気付く、ということだと思います。私自身、最初に共演したその三ヶ月後の自分の企画をどうしても一緒にやってほしくて『空いてる?』って誘ったんです。まだ何も決めていなかったのに、感謝でした。それからずっと鵺的の公演に居てくれるのは私の中でも凄く大きな事で、特別なことだと思います」
――― 次回公演の「バロック」でもそんな信号を出しているキャストが集められたということですね。
福永「今回は普段ご一緒しないようなメンバーが一堂に会しているので、お客さんにとっても面白いと思います。人によっては(劇場の)スズナリが初めて、といった人が居るかも知れません」
奥野「昨年の「悪魔を汚せ」の後に寺十さんの演出で「レネゲイズ」という作品があったのですが、これが鵺的だったら絶対できないようなキャスティングでした。客層も全く違いました。だけどお客様はそれぞれに受け入れ楽しんでくださって。今回も今までの鵺的とは違う方向へも豊かに拡がっていく期待があって楽しみです。機会がなければ鵺的には触れることのない方がたくさんいらっしゃると思います。でもそういった方々にも響くものが確実にあると思うので、お互い新しい出会いになればいいなと思っています」
(取材・文&撮影:渡部晋也)